2月12日(日)年間第六主日メッセージ

 今日の福音も、マタイ福音書の5章から7章にかけて語られる、イエスによる山上の説教の一部に耳を傾けます。マタイ福音書は聖書、旧約聖書とユダヤ人の伝統に生きてきたキリスト者たちのために書かれました。それで、律法に関連した話がとても多いです。律法というのは旧約聖書の最初の五冊、いわゆるモーセ五書を指しています。

 モーセがシナイ山に登り、十戒を持ち帰ったように、イエスも人々に新しい掟を指し示されました。イエスは日々の生活の中で、具体的に神の教えに従って生きようとすること、愛の実践の大切さを説きました。よく断食をし、よく祈り、施しもよくしたファリサイ人たちよりもっと聖なる者となりなさいと。そんなことが可能なのでしょうか。心の奥底の思いと外に現れ出る行いが一致していないとき、その人を偽善者と言います。

 偽善者という言葉をイエスは何度も用います。わたしたちが偽善者にならないためには普段の生活において基本姿勢がキリストに向かって方向づけられていなくてはなりません。

 イエスは律法を神の国での新しい生き方と並べて比べます。殺人を引き起こす根本には憎しみがあります。人を行動へと駆り立てる、根本のところにイエスは目を注がれます。わたしたちは自分を相手に与えつくすよう招かれます。わたしたちの人となりは表の行動においてではなく、その行動へと駆り立てた動機の中に現れます。

 わたしたちはイエスが最も大切にしていたことを身につけるよう呼ばれています。わたしたちは自分を無にしてまでも与えるよう呼ばれています。わたしたちは神をいつまでもこよなく愛するよう呼ばれています。わたしたちは自分たちの家庭の中に神が共におられることを喜ぶよう呼ばれています。わたしたちは信仰をおろそかにしないよう呼ばれています。

 主と共に働くわれらは主と共にその実りを味わう。アーメン。

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