大人の教会学校(於:光カトリック教会 肥塚神父)資料 2020年7月 

「生者と死者を裁くために来られます」

(「カトリック教会のカテキズム」 カトリック中央協議会 201~205頁 参照)

 

・「キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです」(ローマ14・9)。キリストの昇天は、その人性において神ご自身の権能と権威にあずかることを意味します。イエス・キリストは主です。天でも地でもすべての支配力をお持ちです。「すべての支配、権威、勢力、主権の上に」おられます。それは、御父がすべてをキリストの足もとに従わせ」(エフェソ1・20~22)られたからです。キリストは宇宙と歴史の主であられます。人間の歴史、さらに全被造界はキリストのうちに「一つにまとまられ」、超越的な完成に達するのです。

 

・イエスは、預言者たちや洗礼者ヨハネに続いて、説教の中で最後の日の審判を予告されました。そのときには、各自の行為と心の秘密があらわされるでしょう。そして、神が与える恵みを顧みなかったとがめるべき不信仰が断罪されるでしょう。隣人に対する態度が、神の恵みと愛とを拒否したか、あるいは受け入れたかを明らかにするはずです。イエスは最後の日に、「わたしの兄弟であるこのもっとも小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25・40)といわれるはずです。

 

・キリストは永遠のいのちの主です。人間の行為と心を最終的に裁く至上権は、世のあがない主であるキリストに属します。キリストはこの権利を十字架によって「かちとられました」。しかも御父は、「裁きはいっさい子に任せておられる」(ヨハネ5・22)のです。

 ところで、御子は裁くためにではなく、救うため、ご自分のうちにあるいのちを与えるために来られました。このいのちの恵みを拒絶することで、おのおのはすでに自分自身を裁き、その行いに従って報いを受けています。そのうえ、愛の霊を拒否して、自らを永遠にのろわれた者にすることさえできるのです。

 

・主キリストはすでに教会を通して治めておられますが、まだこの世のすべてがキリストに従っているのではありません。キリストのみ国の勝利は、悪の勢力の最終的な攻撃の後に獲得されます。

 

・世の終わりの最後の審判の日に、キリストは栄光のうちに来臨し、悪に対する善の決定的勝利を実現されます。この善と悪とは、よい種と毒麦のように、歴史の中でともに育っています。

 

・キリスト者は、とくに感謝の祭儀の中で、キリストの来臨を早めるために、「主よ、来てください」(黙示録22・20)と祈るのです。