「復活の主キリストに生かされて」

 主キリストに出会った人は自分の思いや経験をはるかに超え出る恵みをいただきます。復活の主キリストに出会い、大変身を遂げたパウロもその一人でした。パウロは熱心なユダヤ教徒で、キリスト者のグループを追い回し、迫害するリーダーでした。復活した主キリストに出会い、心底生きる意味と喜びを見出した弟子たちは、福音を証しし宣べ伝えるキリスト者信仰共同体を形作っていきます。その初代教会の歩みを使徒言行録が詳しく記しています。ですから、復活祭の後、毎日ミサのたびに、使徒言行録が世界中で読まれています。恐ろしくてキリストの十字架のもとにいなかったペトロやヤコブなどの弟子たちが別人のように福音を大胆に語り始めています。来月15日、聖霊降臨までに、使徒言行録を読み通して、初代教会の弟子たちから宣教の熱意と大胆な行動を学び取りましょう。

 私たちに「見よ、わたしは万物を新しくする」と言われ、「新しい天と新しい地」を約束なさる主のお言葉は何と心強いことでしょう。わたしたちキリストの弟子たちは悲観的な物の見方にとらわれることはありません。愛する人が死の床にあり、悲しみの極みの中にあっても、「彼は神の御手の中にある」と言う家族の人に出会うことも珍しくはありません。この場、この時に神様が現実に働いておられるのをわたしたちは見るのです。

 イエスは十字架につけられ敗北し挫折したように見えますが、実は死に打ち勝って復活された勝者なのです。わたしたちはどんな時にも悲観的になってはいけません。恐れをなすこともありません。将来に不安を抱いてもいけません。なぜかと言うに、神が共におられ、共に働いておられるからです。

 今日の福音は、最後の晩餐の際、主キリストが語った弟子たちに語ったメッセージの一部です。 十字架の上でご自分をわたしたちのために差し出してくださったように、復活の主は、御聖体を通して、ご自分の体をわたしたちに差し出してくださいます。こうして、目に見える形でわたしたちは神の栄光を受けとめる機会、恵みが与えられたのです。

 わたしたちが他の人を愛する時、わたしたちが他の人々のパンやぶどう酒になる時、私たちの言動そのものが神の栄光の現れになっていき、わたしたちが主キリストの弟子だということが、現代の不信心の時代にあっても、おのずと伝わっていきます、まちがいなく。 

「恐れることなく大胆に」。 アーメン。